証拠、あからかさまに、嫌いな人を排除しようとした拠拠拠拠点をつくるのが特徴。
一気に出世。また、仕事がうまくいかないのも「彼ら」のせいになる。
他人のせいにできるので、常に自分を省みる事もなく、常に同じ過ちを繰り返すのが最大の特徴。
彼らの言い訳は、
「自分は悪くない」
「社会が悪い、時代が悪い、景気が悪い、あいつが悪い」
「自分はこんなに努力しているのに、あいつが足を引っ張る、環境が悪い」
これのオンパレードです。
自分が無能だと思われるのが、死ぬほど怖いため、
自分の実力のなさを認められず、自分は、能力があると思い込み、自尊心を守るために、自分以外の全てを攻撃し、責任転嫁をする。
それを見て、周囲の人はさらにその人を避け、本人は孤立する。
結果、本人はさらに周りを恨む。
そのうち、社会から攻撃されている、攻撃されているから攻撃しなくては、という歪んだ正義感を持つようになる。
「俺はあいつらに被害を受けたから、何をしてもいいんだ」という理屈。
そして、最終的に「犯罪」に手を染める。
これが、無敵の人への、もっとも多いルート。
「自分は優れているはずなのに、社会が自分を認めない。あいつらが、自分の正当な権利を奪っている」という考えを持つようになる。
ここまでは、自分は無力だと思い込まされている段階。
まだ、誰かを攻撃することはない。
しかし、そこに「他責」が加わる。
「なぜ、俺はこんなに苦しいのか。それはあいつらのせいだ」
「アイツさえいなければ、自分は幸せになれた」
このように考えるようになり、実際に、特定の誰か、もしくは不特定多数への攻撃を始める。
自分を「被害者」だと思い込んでいるため、
加害行為自体を「正当な復習」だと考えているため、非常に攻撃性が高く、罪悪感を感じないのが特徴。
こういった人は、ネット空間で同じような人間同士で、自分たちの意見を正当化しあうため、自分の考えが正しいと思い込み、さらに過激化してしまいま す。
自分の人生の「不運」をすべて周りのせい、自分以外のせいにし、「社会が悪い。あいつらが悪い」と思考するようになると、「無敵の人」の出来上がりで す。
(もちろん、そう思う人は、世の中には五万といますし、その誰もが、事件を犯すわけではありませんが。ですが、大きな事件を起こす人の殆どが、この 「他責」という共通点を持っているのが非常に厄介な点です。)
世の中、生きていれば、自分ではどうしようもできない運不運はあるし、自分には全く非がない不条理なこともある。
理不尽な目にあう事なんて、いくらでもある。
でも、自分の身に降りかかった状況を「よし、ここからどうするか。自分の今の環境でできる精一杯のことは何か」と考え、自力で道を切り拓く以外、自分 の人生を立て直す方法はないのに。
他人に期待しても、何も変わらないし、
他人が自分のために動いてくれるなんて、ありえないのに。
それを、誰かのせいにして、誰かに幸せにしてもらうのを待っているから、
いつまで経っても変わらない。
「環境のせい」にしている人は、環境が良くなっても、また次の不満を言います。
「他人のせい」にしている人は、違う人間が来ても、またその人のせいにします。
「他責」は人生を停滞させるだけではなく、
いつしか自分自身を追い詰め、「無敵の人」という怪物へと変貌させてしまう、恐ろしい性質でもあります。
常に自分自身の選択。
他責にせず、常に自分自身の課題として取り組んでいきたいものです。
そして、今の教育制度。
「みんな等しく、誰もが1番。差はない。平等」
そう教育されている今の世代。
でも、社会に出ると、そうではない現実を突きつけられる。
平等ではない、差はある。
ここで、挫折した時、「自分はすごい人間なはずなのに、おかしい」となり、その埋め合わせとして「他責」という防衛本能が働くことがあります。
自分を正当化するため、自分は優秀だと信じ込むために、外に敵を作り出す。
自分の能力不足を認め、努力を重ねるという謙虚な姿勢を持たなければ、
誰でも「無敵の人」予備軍になり得るのです。
今の教育。
もっと、厳しく教えてもいいのではないかな。
社会は甘くないこと。
思い通りに行かないこと。
他人は自分を助けてくれないこと。
自分の人生は自分で責任を取るしかないこと。
他責が一番、格好悪くて、惨めだということ。
それをしっかり、教える必要があると感じます。
無敵の人、という言葉がなくなる社会になるように。
(Geminiによる出力)